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東京地方裁判所 昭和37年(行)13号 判決

原告 中央競馬労働組合

被告 中央労働委員会

補助参加人 小川佐助

主文

一、原告の京都府地方労働委員会が京労委昭和三四年(不)第二二号小川調教師不当労働行為救済申立事件につき昭和三五年一一月一八日付でなした不当労働行為救済申立棄却処分(救済を認めた部分及び原告が再審査申立をしなかつた部分を除く)はこれを取消すとの請求を却下する。

二、被告が昭和三五年(不再)第一八号不当労働行為再審査申立事件について昭和三六年一二月六日付でなした再審査申立棄却処分中原告の小川佐助(被告補助参加人)が原告組合員向井孝行よりその持馬ガイダーネルを取上げた行為は、不当労働行為と認めて陳謝し今後これを行わない旨の誓約書の掲示を求めた部分及び小川佐助は騎手田所秀雄が原告組合員片野良光、同向井孝行両名に対し昭和三四年一一月三〇日同年一二月下旬ならびに同月二七日それぞれ行つた諸言動は甚しく常軌を逸するものであり結局において労働組合法第七条第三号に該当する不当労働行為であることを認めると共に原告組合の団結と活動を阻害したことを深くお詫びし今後かかる行為を繰返さないよう充分注意することを誓約しますという趣旨の小川佐助より原告組合に宛てた誓約書の提出等の救済処分を求めた部分をそれぞれ棄却した部分はこれを取消す。

三、原告その余の請求を棄却する。

四、訴訟費用は、原告と被告との間に生じた部分はこれを五分しその二を原告の、その三を被告、参加により生じた部分は補助参加人の負担とする。

事実

第一、当事者双方の求める裁判

一、原告訟訴代理人は

(一)  被告が昭和三五年(不再)第一八号不当労働行為再審査申立事件について昭和三六年一二月六日付命令書をもつてなした再審査申立棄却処分はこれを取消す。

(二)  京都府地方労働委員会が京労委昭和三四年(不)第二二号小川調教師不当労働行為救済申立事件につき昭和三五年一一月一八日付命令書をもつてなした不当労働行為救済申立棄却処分(救済を認めた部分及び原告が再審査申立をしなかつた部分を除く)はこれを取消す。

(三)  訴訟費用は被告の負担とする。

との判決を求めると述べ

二、被告指定代理人は

(一)  原告の、被告が昭和三五年(不再)第一八号不当労働行為再審査申立事件につき昭和三六年一二月六日付命令書をもつてなした再審査申立棄却処分はこれを取消す、のうち組合員向井孝行にかかる不当労働行為に関する部分についての申立棄却処分を取消すとの請求を却下する。

(二)  原告の京都府地方労働委員会が京労委昭和三四年(不)第二二号小川調教師不当労働行為救済申立事件につき昭和三五年一一月一八日付命令書をもつてなした不当労働行為救済申立棄却処分(救済を認めた部分及び原告が再審査申立をしなかつた部分を除く)はこれを取消すとの請求を却下する。

(三)  原告のその余の請求を棄却する。

(四)  訴訟費用は原告の負担とする。

との判決を求めると述べた。

第二、請求の原因

一、原告組合は京都競馬場、阪神競馬場及び中京競馬場所属の馬丁をもつて結成されている労働組合であり、被告補助参加人小川佐助(以下小川調教師ともいう)は日本中央競馬、京都競馬場に所属する調教師である。小川調教師は原告組合の組合員である向井孝行を昭和三二年一〇月一一日に、片野良光を昭和三四年一月頃にそれぞれ馬丁として雇入れていたが、向井に対し昭和三五年一月一六日、片野に対し昭和三五年一月一日それぞれその持馬が売れたと称して休職とし更に騎手田所秀雄を通じて向井に対し昭和三四年一一月三〇日午后八時頃「労働組合に入つている間は二頭持ちはやらされない。ガイダーネルの馬主もお前には馬は持たされないといつている。だからお前は明日からはヒエイザン一頭持ちでやれ」と述べ、片野に対し昭和三四年一二月下旬の夜「組合をやめるのであれば新しく入つた馬を持たすが組合をやめないのであれば持たさない」と、更に同月二七日「組合に入つておるなら夫婦二人共ひぼしになつても馬は持たさない。もし持たしたとしても競馬には使えない馬しか持たさない、いつまでも組合に入つておるのであれば江戸の仇は長崎で討つということを覚えておけ」という趣旨のことを述べた。

二、そこで原告は昭和三四年一二月二六日京都府地方労働委員会(以下京労委という)に対し小川佐助を被申立人として「(イ)向井及び片野に対する解雇を取消して現職に復帰させよ。(ロ)解雇の日から原職復帰の日までの賃金相当額を支払え。(ハ)今後正当な理由なく組合員を威圧し、その他不当労働行為を行わない旨の確約書を提出するとともに別紙一の誓約書を京都競馬場及び阪神競馬場の見易い場所に一〇日間掲示せよ」という趣旨の救済命令の申立を行つた。

右申立の内容を要約すると(1)救済命令申立事件における被申立人小川佐助は組合員向井及び同片野に対してなした前記解雇を取消し原職に復帰せしめ、ならびに解雇の日より原職復帰の日までの賃金相当額を支払うこと、(2)小川佐助は(イ)組合員片野よりその持馬オオミドリを取上げ(ロ)組合員向井よりその持馬ガイダーネルを取上げ(ハ)田所を通じ片野、向井に対し「組合に入つていたら、よい馬は持たせない」等と云わせたが、これらを不当労働行為と認めて陳謝し、今後これを行わない旨の確約書の提出及び別紙(一)記載の誓約書の掲示を命ずる。との各処分のなされることを求めたものである。

ところが京労委は昭和三五年一一月一八日右救済命令申立の内容中右(1)及び右(2)の中(イ)及び(ハ)につき救済しない旨、右(2)の中〈ロ〉につき単に不当労働行為と認めるという趣旨の別紙(二)記載の誓約書を提出せしめるが同旨の文書の掲示を求める部分については救済しない旨の処分をして「(イ)向井に対する不当労働行為を認める別紙(二)記載の誓約書を原告に提出せよ。(ロ)その余の申立を棄却する」旨の救済命令を発した。

三、ところで原告はこれらの処分中(1)について救済しない旨の処分については不服はないが(2)の中(イ)(ハ)につきなされた救済をしない旨の処分及び(2)(ロ)の中の文書の掲示を求める部分につきなされた救済をしない旨の処分には不服があるとして、昭和三五年一二月一三日、被告に対し再審査の申立をなし、(1)、小川佐助は原告組合に対し支配介入してはならない、(2)、小川佐助は原告組合に向井及び片野に対し不当労働行為を行つたことを認める趣旨の別紙(三)の誓約書を提出すると共にこれを縦一米以上横一、五米以上の白紙に明僚に墨書し、京都競馬場、阪神競馬場、中京競馬場の見易い場所に一〇日間掲示せよ。

との命令を求めた。

これに対し被告は昭和三六年一二月六日右再審査申立を棄却する命令をなした。

四、しかしながら被告の右命令及び京労委の右原処分(但し原処分中さきに述べた救済を与えた部分及び原告が再審査申立をしなかつた部分を除く)には片野については不当労働行為が存在するにも拘らず必要な救済を与えなかつた点、向井については不当労働行為の存在を認めながら誓約書の掲示を認めなかつた点及び小川佐助が田所秀雄を介して不当労働行為を行つたことを認めなかつた点に判断の誤りがあり、その点に瑕疵があるので取消を免れない。

五、即ち被告の右命令及び京都府地方労働委員会の右原処分には次のとおり取消事由が存在する。

(1)  小川調教師の、片野の持馬取上げは向井に対する持馬の取上げ及び後に述べる原告と関西調教師会との間の人事に関する協定の無視という一連の不当労働行為の一環としてなされたものである。

競馬場においては調教師は馬主より競走馬を預かり馬丁を雇傭して馬を馬丁に持たせ調教するものであるが、馬主が馬を売ることにより持馬のいなくなつた馬丁は休職になり又、ある馬がレースに出走して賞金を取ればその馬の馬丁にも出走手当、賞金の一部が支給されるため、馬丁にとつて優秀馬を割当てられるのと病馬を割当てられるのとではその収入に相異が生じるのである。

小川調教師は調教師会の反第一組合(原告組合)活動の中心人物として右原告組合が結成されるや直ちに第二組合を結成せしめ原告組合と第二組合とを差別したり原告組合の組合員に対し組合脱退の勧誘や買収などを行い組合切崩しに全力を尽してきたものであるが、小川厩舎内においても自己の雇傭する馬丁の中から組合員を排除せんと企て、前記制度を悪用し組合員である向井及び片野から優秀馬を取上げて、ことさら病馬又は既に売ることの決まつている馬を持たせるとともに、新しく小川厩舎に預託された馬は新たに雇傭した非組合員に持たせ、片野、向井に持馬をなくして休職にしたため原告組合結成当時小川厩舎に八名の馬丁中五名の組合員がいたのに右向井の休職と共に組合員は一名もいなくなつた。

又小川調教師はそのほか片野夫婦に対し同人らが小川厩舎の一室に居住していた際も炊事場、電気、水道等について非人間的な待遇をなしたものである。

よつて右小川調教師の片野に対する持馬取上げ及び休職は同人の組合員に対する不利益処分及び組合に対する支配介入として不当労働行為である。

そして原告組合と小川の所属する関西調教師会との間の昭和三四年五月一六日人事に関する協定が成立し、組合員の身分に重大なる影響を及ぼす場合には調教師は組合と協議して決定をすると定められ、右身分に重大な影響を及ぼす場合とは解雇は勿論、馬の持替え及び休職等も含まれるものである。

しかるに小川は、向井、片野の馬の持替え及び休職に際し原告組合とは何等の協議をしなかつた、これは小川調教師の労働組合無視のあらわれであり不当労働行為(差別待遇、組合に対する支配介入)である。

(2)  被告は、京労委が、小川佐助が向井からその持馬であるガイダーネルを取上げた行為は不当労働行為に該当すると認め、小川佐助に対し今後かかる行為を繰返さないことを誓約する文書を原告組合に提出することを命じながら別紙一記載の誓約書の掲示を求める部分について救済しない旨の処分をし、被告がこれを支持したことについて不当労働行為と認めた以上いかなる救済を与えるかはその自由裁量に属するものである旨主張するが労働委員会の自由裁量といえども無制限のものではなく不当労働行為制度の目的構造により一般的に限界づけられるものであり小川調教師は既に昭和三三年四月一一日京労委より京労委昭和三三年(不)第二号京都競馬場不当労働行為救済申立事件について不当労働行為救済命令が発せられ、誓約文の掲示を命じられたにも拘らず、再び本件不当労働行為に及んだものであり、かつ小川調教師はさきに述べたとおり調教師会の反原告組合の中心人物として活躍していたこと、右小川調教師の不当労働行為により小川厩舎には組合員は一名も存在しなくなつたのであるから、これら組合員に対する今後の組合活動への影響より考えれば誓約書の提出のみでは到底侵害された団結権を回復することはできない。

しかるに被告及び京労委はこれを看過してそれぞれ前記の処分をしたものであるから右各命令は裁量権限の範囲を逸脱するものであり違法な処分である。

(3)  被告は調教師と騎手との関係について「騎手が調教師と通謀して行動したような場合は論外として騎手が自ら使用者の立場にあると考え、あるいは使用者側の意を向えるべく行動し、かつ調教師においてこれを黙認利用しているような場合には原告組合に対する支配介入行為として調教師がその責任を問われてもやむを得ない場合があることは否定できない」と判断し騎手田所秀雄の原告組合員に対する言動が組合に対する支配介入であることを認めながら右田所の言動が原告に対する小川調教師の不当労働行為とならないと認定した京労委の初審判断を支持したが、しかしながら田所騎手は一六才頃から小川厩舎に雇傭されている子飼の騎手である関係から馬の調教については小川調教師に代つて馬丁を指揮し又新しい馬丁が採用されると小川調教師も自分の代りに田所騎手の指示に従うよう同騎手を引合せ、かつ小川調教師不在の際は全権をもつて馬丁に仕事の指示を与えて競馬に参加する等馬丁就業規則にいう調教師の代人に相当し小川の利益代行者としての地位を有していた者であるから田所の言動は自己を使用者の立場において或は調教師の意をむかえるために行われたものであり、小川も片野や向井より田所騎手の言動を訴えられ、田所の反組合的言動を知りながら何ら同騎手に注意を与えることもなくこれを黙認し利用してきたものであるから田所の言動は、まさに小川調教師の不当労働行為となるものであることは明らかであり、被告が原告のこの点に関する救済の申立を棄却した初審を維持したのは重大な理由齟齬である。

(4)  よつて京労委及び被告の各命令は右(1)ないし(3)の部分について判断の誤りがあり違法であるので取消を免れないものである。

第三、被告の答弁

一、請求の原因一項の事実中原告組合は京都競馬場、阪神競馬場、中京競馬場所属の馬丁をもつて結成されている労働組合であること、小川佐助は日本中央競馬京都競馬場に所属する調教師であること、右小川調教師は原告組合の組合員である向井、同片野をその主張の日に雇入れ、その主張の日に両名を休職としたこと、訴外田所秀雄がその主張の日、右両名に対して原告主張のとおり述べたことは認めるが、その余の事実は否認する。

二、請求の原因二、三項の事実は全て認める。

三、請求の原因四項の主張は争う。

四、請求の原因五項の事実中原告組合と小川調教師の所属する関西調教師会との間に昭和三四年五月一六日人事に関する協定が成立し組合員の身分に重大な影響を及ぼす場合は調教師は組合と協議して決定する旨定められたこと、小川調教師は昭和三三年四月一一日京労委より京労委昭和三三年(不)第二号京都競馬場不当労働行為救済申立事件について原告主張のとおり命ぜられたことは認めるが、その余の事実は否認する。

第四、被告の反対主張

一、本案前の抗弁

(一)  京労委の初審命令の取消を求める本件行政訴訟は訴の利益を欠き却下されるべきである。

被告は労働組合法第二五条第二項に規定するように完全な権限をもつて再審査をするものであるから行政事件訴訟特例法第三条の規定する処分行政庁に該当するばかりか仮りに被告のなした再審査申立を棄却する旨の命令を取消す旨の判決が確定した場合には行政事件訴訟法第三三条の規定するところにより被告は再審査を再開し、命令を発することになるので本件初審命令の取消を求める訴の利益はない。

(二)  被告が「誓約書の手交」のみを命じた初審命令を支持し「誓約書の掲示」を求めた再審査申立を棄却したことを違法としてその取消を求める本訴請求は却下されるべきである。

原告は、小川佐助が、かつて不当労働行為救済命令を受けたにも拘らず再度不当労働行為を侵したこと、このため小川厩舎には組合員が存しなくなつたのであるから、これら従業員の今後の組合活動に対する影響を考慮すると誓約書の提出のみでは到底侵害された団結権の回復は困難であること明白であるのに被告がこれを看過し原告の再審査申立を棄却したことは明白なる裁量権の濫用であり違法な処分であると主張するが不当労働行為救済命令はできるだけ不当労働行為のなかつたと同じ状態に回復することを目的とする行政処分であつて不当労働行為のあつた場合には如何なる救済を与えるべきかについては処分権者の自由裁量に属するところであるし右救済命令の内容が救済命令の趣旨に反したり裁量権限の濫用にわたらない限り被救済者においてこれを違法とした救済命令の取消を求める行政訴訟は提起し得ないものである。

そして被告のなした命令には次に述べるとおり何ら裁量権限の濫用はない。

小川調教師が本件不当労働行為をなした数年前にも不当労働行為の救済命令の言渡を受けていることは原告主張のとおりであるが本件命令で不当労働行為と認定された訴外向井孝行の持馬取上げについては小川調教師自身の不当労働行為意図によるものではなく、いわば第三者である向井の扱つていた馬の持主の強制によるもので小川調教師も右馬主に種々説明し説得に努めている事情からも明らかであり、しかも小川調教師は、かつて不当労働行為救済命令を受けてから自ら注意していたものであり、小川厩舎に組合員の存在しなくなつた事情についてもそれぞれ相当の理由があり小川調教師が向井の持馬を取上げたことが影響しこれに起因するものではない。

従つて被告が本件不当労働行為の救済方法について小川調教師に誓約書の掲示まで命ずる必要もないと判断したことについては何ら裁量権限の濫用はない。

二、本案に対する被告の反対主張

(一)  小川調教師が片野良光に対してその持馬を取上げた行為について

(1) 原告は訴外片野に対する持馬の取上げは訴外向井に対する持馬取上げと労使間協定の無視という小川調教師の一連の不当労働行為の一環としてなされたもので片野の勤務成績不良は単なる口実である旨主張するが向井の持馬の取上げはストライキ参加を理由になされたものであるのに対し片野に対する持馬の取上げは同人の持馬の手入れの怠慢等の勤務成績不良を理由とするものでいずれも持馬取上げの理由を異にするばかりか向井に対する持馬取上げについても小川調教師自身に不当労働行為意思は存在しないものであることはさきに述べたとおりである。

即ち

片野は馬丁としての経験も浅く持馬の爪を洗わなかつたり馬糞や前日の寝わらを捨てずにその上にわらをしていたこともあるので昭和三四年六月末給料を受取る際、小川調教師より「今後あのようなことを繰返すと解雇する」旨注意を受けたこと又片野は昭和三四年八月頃相変らず持馬の爪を洗わず馬糞の取り除きや寝わらの入替えを行つていなかつたところ北海道の出張から帰つてきた小川調教師より発見され同人の持馬二頭のうちオオミドリは三才馬で同年九月から本式の調教にかかることになつていたので同人の勤務振りからして二頭持ちは無理であると判断されオオミドリを取上げられたものである。

片野の持馬として残つたチエハタは以前から足が少しはれていたが昭和三四年一一月二八日行われた障害レースに出場して足の裏にひどい怪我をしたため馬主は同年一二月二四、五日頃チエハタを売却したもので、その後小川厩舎には新しい馬の預託はないのであるから小川調教師としては片野を休職にせざるを得なかつたものであるし、そのほか同人が組合員である故に差別的に取扱われたという特別の事情は存在しない。

よつて片野の持馬取上げを不当労働行為と認定することはできないので被告の判断には誤りはない。

(2) 原告は、調教師が馬丁に対して差別的な取扱いをするには持馬の取替が一番効果があるので右不当労働行為を事前に阻止するため原告組合と関西調教師会との間に人事に関する協定ができたものであるが本件片野の持馬取上げは右人事に関する協定を無視しこれに反してなされたものである旨主張するが人事協定不履行についても協定すべき事項の中に馬丁から持馬を取上げる場合が含まれるか否か協定当事者間においても解釈上争いがあり全面的に守られていない事情にあるので小川調教師が原告組合と協議をしなかつたことは妥当ではないとしてもこれ故に小川調教師に不当労働行為意思を認める資料とはなし得ない。

(二)  騎手田所秀雄の言動について小川調教師に不当労働行為の責任を負わせることはできない。

即ち、

騎手の組合員に対する言動を調教師の不当労働行為として帰責せしめる場合として(イ)騎手と調教師が通謀して行動した場合(ロ)騎手が自ら使用者の立場にあると考え、あるいは使用者側の意をむかえるべく行動し、かつ調教師においてこれを黙認利用しているような場合であるが、騎手である田所秀雄が小川調教師と通謀していたこと、小川調教師が田所騎手の言動を承知しながらこれを黙認し利用していたこと、田所が小川調教師不在の場合の代行者であつたことを認めることはできないばかりか田所騎手の言動は先輩として又片野には親戚としての忠告に類するものである。

よつて小川調教師自身に不当労働行為意思を認めることはできない。

本件において田所の言動を小川調教師に帰責せしむべき不当労働行為と認定する理由にはならないものというべきである。

三、以上のとおり原告の本訴請求は失当である。

第五、被告の主張に対する原告の反論

被告は再審査申立人たる原告が初審命令の取消を求める訴の利益を有しないと主張するが

行政事件訴訟特例法第三条は処分をした行政庁を被告としてこれを提起なければならないと規定しているのであり、同条による訴訟の結果は当該行政処分の運命を左右するものであるところから右処分に係る事項につき管理権限を有する処分行政庁を被告として訴訟に関与せしめるのが訴訟の本質に合致すると考えられることと当該処分について調査を行いその間の消息に通じかつ資料も具有している処分行政庁を当事者とするのが訴訟の追行上最も合理的であるという実際的見地より処分した行政庁を被告とする旨規定されたものである。

ところで、ある行政処分に対して上級行政庁によりその当否の判断がなされて原処分を認容する趣旨の訴願裁決がなされた場合には右訴願裁決庁もその限りにおいて当該処分に係る事項に関して管理権限を有するものといえるし、また実際上もその処分について審査しこれに関する資料を具有しているので訴願裁決庁を被告として原処分の取消を求めることを許しても同法第三条に反せず、このようなことも許されるものである。

よつて本件においては京労委の命令を一般の抗告訴訟における原処分、被告の命令を訴願の裁決と解すべきであるから被告を相手方とする本訴において京労委の処分の取消を求めることも当然許されるものといわなければならない。

第六、立証〈省略〉

理由

一、被告委員会の再審査における当事者の関係について

原告組合は京都競馬場、阪神競馬場、中京競馬場所属の馬丁をもつて結成されている労働組合であること、小川佐助は日本中央競馬京都競馬場に所属する調教師であること、小川佐助は原告組合の組合員である向井孝行を昭和三二年一〇月一一日片野良光を昭和三四年一月頃それぞれ馬丁として雇傭していたが向井に対し昭和三五年一月一六日片野に対し昭和三五年一月一日それぞれ休職としたことは当事者間に争いない。

二、原告の京都府地方労働委員会及び被告委員会に対する救済命令の申立及びその内容並びに同各委員会の命令、

原告は京都府地方労働委員会に対し小川佐助を被申立人として「(イ)向井及び片野に対する解雇を取消して現職に復帰させよ(ロ)解雇の日から原職復帰の日までの賃金相当額を支払え(ハ)今後正当の理由なく組合員を威圧しその他不当労働行為を行わない旨の確約書を提出するとともに別紙(一)の誓約書を京都競馬場及び阪神競馬場の見易い場所に一〇日間掲示せよ」という救済命令の申立を行つたこと、右申立の内容は救済命令申立事件における被申立人小川佐助は(1)組合員向井及び同片野に対してなした解雇を取消し原職に復帰せしめならびに解雇の日より原職復帰の日までの賃金相当額を支払うこと、(2)(イ)組合員片野よりその持馬オオミドリを取上げ(ロ)組合員向井よりその持馬ガイダーネルを取上げ(ハ)田所を通じ片野向井に対し組合に入つていたらよい馬を持たせない等と言わせたが、これらを不当労働行為と認めて陳謝し今後これを行わない旨の確約書の提出及び別紙(一)記載の誓約書の掲示を命ずるとの各救済命令のなされることを求めたこと、ところで京労委は昭和三五年一一月一八日右救済命令の内容中(1)及び右(2)の中(イ)及び(ハ)につき救済しない旨の処分をし右(2)の中(ロ)につき単に不当労働行為と認めるという趣旨の別紙(二)記載の誓約書を提出せしめる処分をし別紙(一)記載の誓約書の掲示を求める部分については救済しない旨の処分をして「(イ)向井に対する不当労働行為を認める別紙(二)記載の誓約書を原告に提出せよ。(ロ)その余の申立を棄却する」旨の救済命令を発したこと、そこで原告は右処分中(1)についてなされた救済しない旨の処分には不服はないが(2)の中(イ)(ハ)につきなされた救済しない旨の処分及び(2)(ロ)の中の文書の掲示を求める部分につきなされた救済をしない旨の処分には不服があるとして昭和三五年一二月一三日被告に対し再審査の申立をなし(1)小川佐助は原告組合に対し支配介入してはならない(2)小川佐助は原告組合に向井及び片野に対し不当労働行為を行なつたことを認める趣旨の別紙(三)の誓約書を原告組合に提出すると共にこれを縦一米以上横一、五米以上の白紙に明瞭に墨書し京都競馬場、阪神競馬場、中京競馬場の見易い場所に一〇日間掲示せよ、との命令を求めたこと。これに対し被告は昭和三六年一二月六日右再審査申立を棄却する命令をなしたことは当事者間に争いない。

三、そこで被告の本案前の抗弁について判断する。

(一)  被告は京労委の初審命令の取消を求める本件行政訴訟は訴の利益を欠き却下されるべきである旨主張するので判断する。

地方労働委員会の命令に不服な労働者若しくは労働組合は行政事件訴訟特例法の適用を受ける当時においては同法第二条に従い、まず中央労働委員会に再審査の申立をなすべく、労働組合法第二七条第一一項(昭和三七年法律第一四〇号による改正以前のもの)は中央労働委員会への再審査の申立と地方労働委員会の命令に対する行政訴訟の提起とを選択的に認めたものでないことは最高裁判所の判例(昭和三四年六月二六日第二小法廷判決)の示すところであり当裁判所も右判例と見解を一にするものである。

再審査の申立を受けた中央労働委員会は新たに資料の提出をも許容して独自の立場から調査審問をなしその申立に理由がないと認めたときはこれを棄却し理由があると認めるときは地方労働委員会の処分を取消してこれに代る命令を発することができるものである。

そして不当労働行為救済制度は本来使用者側の不当労働行為により労働者を救済する制度であるからこれにより使用者は不利益を受けることはあつても労働者はその申立の認められない場合でも右制度の恩恵を受けないというにしか過ぎない。

ところで中央労働委員会の命令を不服とする行政訴訟で中央労働委員会の命令が取消された場合中央労働委員会は右判決に従い地方労働委員会の命令について再び調査審問を開始し地方労働委員会の命令を取消して自らこれに代る命令を発することができるのである。

そうすると中央労働委員会の命令とあわせて地方労働委員会の命令まで取消す訴の利益はないものというべきである。

よつて原告の京都府地方労働委員会の命令(京労委昭和三四年(不)第二二号小川調教師不当労働行為救済申立事件)の取消を求める訴の利益はないものとしてこれが却下は免れないものというべきである。

(二)  原告は前記被告委員会の救済命令中「誓約書の手交」を命じながら「誓約書の掲示」を求めた部分について棄却した初審命令を支持し「誓約書の掲示」を求めた再審査申立を棄却した部分について判断の誤りがあり違法であるから取消を求める旨主張し被告は誓約書の掲示を求めた再審査申立を棄却した被告の命令に対する本訴請求は却下されるべきものであると主張するので判断する。

成立に争いのない乙第三五号証によれば京都府地方労働委員会は右原告より小川佐助を被申立人とする本件京労委昭和三四年(不)第二二号小川調教師不当労働行為救済申立事件において小川調教師の向井に対する不当労働行為を認め別紙(二)の誓約書の提出を命じ右誓約書の掲示については救済申立を棄却したがその理由として『昭和三四年一一月二九日原告組合はベースアツプその他の要求のため午前六時より午後四時までの間時限ストライキを行つた、当時小川調教師に雇傭されていた馬丁のうち向井孝行、片野良光、小川徳三郎、武藤勘次郎ならびに騎手見習、田辺松男ら五名の組合員は全員右時限ストライキに参加したが、右ストライキに加入した馬丁中向井、片野、小川徳三郎は転厩し武藤、田辺は原告組合を脱退し京労委における審問終結当時小川調教師に雇傭されている馬丁中で原告組合に加入している者は一人もいなくなつたこと、向井は昭和三二年一〇月一一日小川調教師に馬丁として雇われ昭和三五年一月一六日休職となり同年六月二〇日退職したが、向井は昭和三四年四月原告組合に加入し馬丁としての腕は比較的良好で、その作業成積は小川厩舎では中位であつたこと、右ストライキ当時、向井の持馬はガイダーネルとヒエイザン二頭であつたところ右ストライキ当日の午後四時頃ガイダーネルの馬主である楠本逸治が小川厩舎を訪れ、同厩舎に向井が居なかつたため大変憤激して小川調教師や田所秀雄騎手に対し「ストライキをやるなんてけしからん、これからはストライキに参加するような者には馬は持たせられない。」という趣旨のことを述べたのに対し小川調教師は「今の時代にはこれは労働者に与えられた権利である。」という趣旨の説明をして楠本をなだめたこと、ところが、ストライキ解除後馬に飼料を与える時間になつても向井ら五名は小川厩舎に来なかつたので小川調教師は組合に加入していない他の馬丁や騎手を指図して向井らの持馬に飼料を与えたが、これを目撃した楠本は「ほかの厩舎ではストライキが終ると厩舎にでて働いているのに、ここでは一人も出ない。」といつて怒つたので小川調教師より「向井ら組合員は体裁が悪いので来ないのだろうが、午後八時の水と投草をやる時間には来るでしよう。」といつてなだめられて機嫌をなおして帰つたこと、向井はストライキ解除後午後五時頃小川厩舎に行つたところ同人の持馬であるガイダーネル、ヒエイザンの二頭とも他の馬丁が飼料を与えてしまつていたのでもうやる必要はないと思つて帰つた。なお同日午後八時の水飼のとき片野良光の妻から水は他の人がやつてくれたということを聞いたので向井は自分の持馬のところにも行かなかつた。同月三〇日小川調教師不在中前記楠本が小川厩舎を訪れ、女中に対し「向井は昨夜八時の水と投草をやりに厩舎へ来たか。」と聞いたので女中は「昨日のストライキに参加した者は全部来なかつたそうです。」と答えたこと、そこで楠本は自分の名刺に「ガイダーネルの馬丁が今回のストライキに参加したのはやむを得ないが飼付をしなかつた由、これは生物を持つ馬主としては絶対に容赦できないから一刻も早く真面目な馬丁に持替えさせてくれ、もしそれができなければ他の厩舎へ移すか、売却するか、いずれかの方法をとるから善処の上至急返事をせよ。」と記載して女中に託したこと、小川調教師は右名刺を見て楠本を訪れ「向井には良く言つてきかせるし、又ガイダーネルは向井が持ちなれている馬だから同人に持たす方が一番よいので、そのまま持たせてやつてくれ。」と頼んだが楠本より「自分の言う通りにしなければガイダーネルは、ほかの厩舎に持つて行くか売るかしなければならない。」旨右申入れを拒否されたので結局小川調教師は同年一二月一日ガイダーネルを向井より取り上げストライキに参加しなかつた馬丁菊地国夫に持替えさせ昭和三五年一月一二日頃ヒエイザンも他に売却されたので向井の持馬はなくなり同月一六日休職を命ぜられた。』と

それぞれ認定した上同委員会は

『一般的にいつてストライキの終了は即時正常勤務への復帰を意味するものではあるが事情によつてはかかる復帰が多少の遅延をみることは避けがたい場合もあり、労使慣行のきわめて未熟な職場では、しばしばあり得るところである、ことに向井はストライキ当日その解除後の飼料などにつき全然労務放擲していたとは認めがたく、飼料、水飼いのため担当厩舎に就労しようとしたことも認められかつ同人の持馬に何らかの明確なる支障をきたしたことの認められない本件においてはストライキ解除直後のこの程度の不就労に対し、その持馬を取上げるほどの重大なる措置をもつて望むことは甚しく酷であつて小川調教師自身もそこまでの意図を有しなかつたことは前記認定により明らかであるところ、前記認定のとおり楠本が向井からガイダーネルを取上げようとした真の理由はスト直後の向井の不就労にあつたのではなく同人がストライキに参加したがためとみるのが相当である。右のような事由で組合員である馬丁から馬を取上げることを正当視するならば組合は遂に壊滅に導かれることが当然予想せられるところであり小川調教師もこのことを予想できた本件において、たとえ馬主の希望にそわんとしたものであつても馬主の意を体し馬主の希望に藉口して正当な組合活動に対する報復としてしたものと認められ、しかも向井より持馬を取上げた以後当時小川調教師に馬丁として雇傭されていた五名の組合員中二名は組合を脱退し向井、片野を含め三名が転厩したことも総合して考えれば右向井よりガイダーネルを取上げた行為は小川厩舎における組合員の壊滅の因をなし、ひいては組合の運営に影響をおよぼしたこと明らかであるから小川調教師の右行為は労働組合法第七条第三号に該当する支配介入であると断ぜざるを得ない。』と判断し『右の如き介入に対しては誓約書を原告組合に提出するだけで充分である。』として前記の如き救済命令を発したことが認められる。

更に成立に争いのない乙第八五号証によれば被告委員会は京労委の右命令を支持し、その理由として京労委の前記事実認定と同一の認定をしてこれを引用した上『向井の持馬取上げについてみると馬主が小川調教師に対して申し向けたことは結局ストライキ参加者には自己の所有する馬を持たせないということであつて、このようなことそれ自体についてみれば、およそ労働組合法の期待するところに背馳するものであることは明らかで、これをそのまま容認することは出来ない。

ところで調教師および馬丁は馬主から預託された競走馬の飼養にたずさわるものであり馬主の意に反するならば容易に預託契約を解除される立場にあり、かかる特殊な事情を考慮にいれ小川調教師が馬主に翻意を促がしたが結局馬主の意に従わざるを得なかつたとする事情をかりに全面的に認めたとしても向井がその持馬を取上げられた所以のものは同人がストライキに参加したということにある以上小川調教師のかかる行為はストライキ参加組合員に対する報復ということになり、これを放置するにおいては労働組合の組織ならびに活動の弱体化を招くにいたるであろうことは明らかである。したがつて小川調教師の向井に対する持馬取上げの行為は原告組合に対する支配介入行為に該当すると認定した初審判断には誤りはないというべきである。ところで原告組合は本件不当労働行為の救済として前記の如く「小川調教師は原告組合に対し支配介入してはならない。」および「誓約書の掲示。」を求めているがこの際事案の内容からみて文書手交を命じた初審命令を変更しなければならないとするほどの事情は見出し難い。』と判断していることが認められる。

そして小川調教師は本件京労委の救済命令にさきだち既に昭和三三年四月一一日京労委より京労委昭和三三年(不)第二号京都競馬場不当労働行為救済申立事件について不当労働行為救済命令が発せられ誓約書の掲示を命ぜられたこと当事者間に争いなく、成立に争いのない乙第七四、第八四号証証人尾上忠義の証言、原告組合代表者本人尋問の結果によれば右京労委の昭和三三年(不)第二号救済命令により小川調教師が誓約書の掲示を命ぜられたことについて社団法人日本調教師騎手会関西支部主事福永幸夫調教師会の理事等のあつ旋により和解の話がもちあがり小川調教師は今後不当労働行為を行わないという内容の和解をなしたことが認められる。

又成立に争いのない乙第八三号証、証人森幾一郎同尾上忠義の各証言原告組合代表者本人尋問の結果によれば馬丁は調教師に雇傭され、その調教師の経営する厩舎に所属し調教師より持馬一頭ないし二頭の飼育を割当てられるものであるが、馬丁の収入の多寡は調教師と馬主との間で取りきめられた預託料等の中から支給される基本給のほか馬丁の取扱つている馬が入賞した場合進上金として賞金の五%が馬丁に支払われるもので馬丁としては馬一頭を持つ場合と二頭を持つ場合又は優秀な馬を持つ場合と病馬等劣等な馬を持つ場合又は血統のよい馬を持つ場合と、そうでない場合と相当な開きがあることが認められる。

そうすると馬丁の収入の多寡は調教師がその馬丁に二頭持たせるか一頭持たせるか又は優秀な馬を持たせるか劣等な馬を持たせるか等できまるものというべく調教師として自己の嫌悪する組合を弾圧するために、この制度を悪用すれば相当の威力を発揮すること明らかである。

ところで不当労働行為救済制度は使用者の不当労働行為にともなう団結権の侵害から労働者を救済するため不当労働行為の行われなかつた以前の状態に戻すことを目的とし、いかなる不当労働行為に、いかなる救済を与えるかは労働委員会において合目的的に最も適当と考えられる救済を与えるもので労働委員会の自由裁量に属すること勿論であるが、使用者の不当労働行為により労働者の団結権が侵害され組合が分裂させられたり組合員が脱落したりしてしまつた場合には誓約書の手交だけでは足りず、これを掲示することにより組合員に周知させなければ不当労働行為が行われなかつた以前の状態に戻すことの困難な場合があるであろうし、このような場合に不当労働行為の存在を認めながら誓約書の手交だけを認め掲示を認めないということは救済の申立を拒否するに等しく客観的妥当な裁量の範囲を逸脱し違法性を具有するものとして取消の対象となるものと考える。

そうすると京労委及び被告委員会が小川調教師の向井に対する持馬取り上げについて不当労働行為と認定し京労委は前記認定した事情から組合員である馬丁から馬を取上げることを正当視するならば組合は遂に壊滅に導かれることが当然予想されるところであり小川調教師もこのことを予想できた本件において馬主の希望に藉口して正当なる組合活動に対する報復として、しかも向井より持馬を取上げた以後当時小川調教師に雇傭されていた五名の組合員のうち二名は組合を脱退し向井を含め三名が転厩したことも総合して考えれば右向井よりその持馬の取上げは小川厩舎における組合の壊滅の因をなし、ひいては組合の運営に影響を及ぼしたこと明らかであると判断し被告委員会も小川調教師の向井に対する持馬取上げを放置することは原告組合の組織、活動の弱体化を招くことは明らかであると判断しているのであり更に小川調教師は昭和三三年四月一一日にも京労委より不当労働行為として認定され誓約文の掲示を命ぜられ、右事実は京都競馬場の馬丁には公知の事実であること推測にかたくないこと、及び前記認定のとおり馬丁の収入の多寡は持馬のいかんにより異ることよりみれば成立に争いのない乙第七五号証により認められる。小川厩舎の田辺松男騎手見習が原告組合を脱退したのは同人が原告組合のストライキに参加したのに諸手当の支給がなかつたことを考慮に入れても小川調教師に対し誓約文の手交を命じたのみでは足りずこれを掲示して組合員に周知させなければ失われた組合の団結権を回復し不当労働行為の行われなかつた以前の状態に戻すことは困難であるというべく被告委員会が前記のとおり認定しながら誓約書の手交だけを認め掲示を認めなかつたことは客観的妥当な裁量の範囲を逸脱し違法性を具有するもので原告の誓約文の掲示を求めた再審査申立を棄却した被告の命令は取消を免れない。

よつて従つてもとより被告が誓約書の掲示を求めた再審査申立を棄却したことを違法としてその取消を求める本訴請求は却下せらるべきであるとの主張は採用しない。

四、次に

(一)  小川調教師が片野良光よりその持馬オオミドリを取上げた行為は不当労働行為に該当するか否かについて判断する。前掲乙第三五号証によれば京都府地方労働委員会は本件京労委昭和三四年(不)第二二号小川調教師不当労働行為救済申立事件において小川調教師の片野に対する不当労働行為を否定し、この救済申立を棄却した理由として『片野は昭和三四年三月原告組合に加入し小川厩舎に雇傭された当初(昭和三四年一月)同人の持馬はヒエイザン一頭であつたが同年三月コロネットをも受持つようになり二頭持ちとなつた。ところが右二頭とも同月限りで他の馬丁の持馬となり同年四月からチエハタ一頭持ちとなつたが同月二八日アラブ抽せん馬であるオオミドリを受持ち再び二頭持ちとなり、同年八月末まで二頭持ちを続けた。

ところで片野は馬丁としての経験も浅く、かつ小川厩舎における勤務成績は概して良好ではなかつた。例えば昭和三四年六月頃片野は持馬の爪を洗わなかつたり、馬糞や、前日の寝わらを捨てず、その上にわらをまいたため小川調教師より注意を受け、また同月末、片野が給料を受取るさい「今度あのようなことを繰返すと解雇するがよいか」と注意されたこともある。同年八月小川調教師は北海道の出張から帰つたさい、片野が相変らず持馬の爪を洗わなかつたり、馬糞のとり除きや寝わらの入替えを行つていないことを発見した。そこで小川調教師は、片野の持馬二頭のうちオオミドリは三才馬で同年九月から本式の調教にかかることになつていたので同人の勤務振りからすれば二頭持ちを続けることは無理であると考え同年八月末日オオミドリを取上げ馬丁菊地末造に廻し片野の持馬として残つたチエハタは以前から足が少しはれていたが昭和三四年一一月二八日行われた障害レースに出場して足の裏にひどい怪我をし、その怪我をなおすのには約一年位かかる見込みであつたので馬主は同年一二月二四日頃チエハタを売却したこと、その結果片野の持馬はなくなり同人は昭和三五年一月一日休職を命ぜられたことを認定した上、右のとおり小川調教師が原告組合に対する支配介入の意思にもとづいて右オオミドリを片野から取上げたものと認めるに足りるなんらの証拠もない、従つてこの点について救済申立は認容しない。』と判断したことが認められる。

前掲乙第八五号証によれば被告委員会は原告の再審査申立を棄却し、その理由として京労委の前記認定した事実と同様の認定をしてこれを引用した上『原告組合は小川調教師が過去に支配介入事件に関し地労委の命令(京労委昭和三三年(不)第二号)をうけたことや本件持馬取上げおよび休職に関し原告組合と関西調教師会との間に締結された人事協定を無視したことはいずれも小川調教師の不当労働行為の証左であると主張するが前記不当労働行為事件あるが故にただちに小川調教師には本件について不当労働行為意図があつたものと推認することは困難でありまた人事協定不履行についても協議すべき事項の中に馬丁の持馬取上げなどの場合が含まれるか否か協定当事者間においても解釈上の争がありまた当事者間において必ずしも協定が全面的に守られていない事情があるので小川調教師が原告組合と協議をしなかつたことは適当でないとしてもこれが故に小川調教師は不当労働行為意図をもつていたとするわけにはいかない。そして片野の持馬取上は片野の勤務成績の不良であり、かつ持馬が負傷により売却されたためであり、ほかに片野が組合員であるが故に差別的に取り扱われたものと認めうる特段の事情も存在しない。』旨判断していることが認められる。

ところで成立に争いのない乙第一六、第一九、第二一号証、証人田所秀雄補助参加人小川佐助の各証言によれば前記京都府地方労働委員会が認定した各事実と同一の事実を認めることのできるほか右各証拠によると馬の蹄の手入を怠ると裂蹄か又は蹄又腐爛になること更に競走馬は神経質なため寝わらをたえず清潔にたもつておかないと眠らないため疲労が回復しないこと、よつて寝わらを取替えず汚れている状態のまゝ馬を厩に入れたり馬の蹄の手入れを怠ることは競走馬の疲労が回復しないばかりか蹄又腐爛とか裂蹄のもととなり競走に使えない結果を招くことが認められる。

そうすると前記認定の片野の勤務状態からして片野よりその持馬オオミドリを取上げ他の馬丁に持替えさせたこともやむを得ないものというべく小川調教師が片野よりその持馬オオミドリを取上げたのは片野が原告組合の組合員であること、又は同人の組合活動を嫌悪したためであると認めることはできず又これを認めるに足りる証拠はない。

よつて小川調教師が片野良光よりその持馬オオミドリ等を取上げた行為はなんら不当労働行為に該当しないので、この点に関する被告の判断には誤りはない。

又原告は小川調教師の片野より持馬の取上げは原告組合と調教師との間に締結された人事に関する協定の無視という不当労働行為の一環としてなされたものである旨主張するので判断する。

原告組合と小川調教師の所属する関西調教師会との間に昭和三四年五月一六日人事に関する協定が成立し組合員の身分に重大な影響を及ぼす場合は調教師は組合と協議して決定する旨定められたことは当事者間に争いない。そして成立に争いのない乙第二三、第二五号証によれば右協定書は昭和三四年五月一六日組合と調教師会との間に締結されたものであるが、その際調教師会側は役員一〇名、組合側は交渉委員一五名が出席して話合つたが、小川調教師は出席しなかつたこと。そしてその席上で組合員の身分に重大なる影響を及ぼす場合の解釈について組合側からは特に組合弾圧の意図をもつて強いて休職を利用する場合を予想して休業も入るという意見もでたが具体的にどういう場合がこれに当るかという取極めまでに至らず常識的に判断して処理するということになつたこと、右組合員の身分に重大な影響を及ぼす場合の解釈として原告組合は馬の持替、休職、解雇がこれに当ると解し、調教師側は右協定五項には休業の場合の保障制度が定められている関係から馬の取上による休業の場合は組合員の身分に重大な影響を及ぼす場合には該当しないという考え方であること。

そして馬丁の持馬がなくなつたため組合側からその馬丁の所属厩舎の調教師に申入れて休職に関する協定を結んだ事例はあるが調教師の方から休職に関し協定を申入れることはないこと、しかし関西調教師会の事務局として調教師の方から休職について報告のあつた場合、組合との摩擦をさけるため組合と話合い協定書を作つたこともあることが認められる。

証人尾上忠義の証言、原告代表者本人尋問の結果中右認定に反する部分は採用しない。

そうすると協定書第一項に調教師と組合と協議することを要する組合員の身分に重大な影響を及ぼす場合には馬丁から持馬を取上げる場合が含まれるか否かについて調教師側と原告組合側との間に解釈上の相違があり全面的に守られていないものというべく小川調教師が片野の持馬取上げについて原告組合と協議をしなかつたことは妥当を欠く点はあるが、これをもつて直ちに小川調教師が片野よりその持馬を取上げた行為は不当労働行為であるということはできない。

もつとも成立に争いのない乙第六六、第六七、第六九、第七〇、第七一号証によれば調教師と原告組合間にその所属する馬丁を取扱馬移動のため休業させる場合に、休業中本人給、家族給、勤続給を支給する等の協定を結んだ例があることが認められるが右協定を結んだ具体的事例が、馬丁の取扱馬を取上げる全ての場合であるか否かについてこれを明確にする証拠はなくこれをもつて前記認定を覆すに足りる資料とはなし得ない。

よつて小川調教師が片野良光よりその持馬オオミドリを取上げるに際し原告組合と協議をしなかつたからといつて不当労働行為に該当するとはいえないのでこの点に関する被告の判断には何等の誤りはない。

(二)  田所秀雄騎手が向井孝行、片野良光になした反組合的言動が小川調教師の不当労働行為として小川調教師に帰責せしむべきか否かについて判断する。

前掲乙第三五号証によれば京都府地方労働委員会は本件京労委昭和三四年(不)第二二号小川調教師不当労働行為救済申立事件において騎手田所秀雄の馬丁向井、同片野に対する不当労働行為の言動について小川調教師の不当労働行為を否定し右不当労働行為について誓約文の掲示を求める救済申立を棄却した理由として『田所秀雄は小川調教師に雇傭されている騎手であるところ昭和三四年一一月三〇日(時限ストライキの翌日)午後八時頃向井よりその持馬ガイダーネルの翌日の飼料のことについて相談をうけたのに対し「労働組合に入つている間は二頭持ちはやらされない。ガイダーネルの馬主もお前には馬は持たせられないと言つている。だからお前は明日からはヒエイザン一頭持ちでやれ」と述べ昭和三四年一二月下旬の夜(チエハタが他に売却された翌日で新しい馬が入つてきた日)自宅へ片野を呼び寄せ同人に対し「組合をやめるのであれば新しく入つた馬を持たすが組合をやめないのであれば持たせない。」と述べたこと。そこで片野は翌日小川調教師に昨夜田所が片野に述べたことをつげかつ自分は組合をやめることはできない旨述べたところ、小川調教師は「そういうことは知らない」と答えたこと、同月二七日片野は京都府淀町に居住する内山某の媒酌により結婚式をあげ同夜内山の家で結婚披露宴を行った際、田所は右披露宴には自分と片野の母親がいとこに当る関係上、親戚として出席し宴会が始まつて間もなく片野に対し「組合に入つておるなら夫婦二人共ひぼしになつても馬は持たさない、いつまでも組合に入つておるのであれば江戸の仇は長崎で討つということを覚えておけ。」という趣旨のことを述べたこと、ところで田所は騎手の立場から飼料のやり方や馬の運動などについて馬丁に注文していたがそれは小川調教師に代つてしたものではない。』旨認定した上『田所は小川調教師に代つて馬丁を指揮監督する権限もなく小川調教師の利益代表者とみることは困難であるし又向井や片野に対する田所の言動の中にははなはだしく常軌を逸するものがあり、あるいは小川調教師の意をうけたのではないかと疑わしめる点もないではないが、これを証拠ずけるものはなく結局田所個人の考えから述べたものとみるほかないのでこれを小川調教師に帰責せしめるわけにはいかない、よつて田所騎手の言動をもつて労働組合法第七条第三号に該当する不当労働行為であるとし陳謝文の掲示を求める原告組合の申立は認めるに由ない。』と判断したことが認められ

前掲乙第八五号証によれば被告委員会は本件再審査申立を棄却しその理由として右京労委の認定事実と同様の事実を認め、これを引用した上『小川厩舎においては田所が日頃から馬丁に対し、飼料のやり方、馬の運動などにつき注文していたことが認められるが、それは同厩舎の馬丁に限らず同人が他厩舎の馬に騎乗する場合、他厩舎の馬丁に対しても行つていることであり、これらは騎手としての立場からの注文であつて小川調教師に代つて馬丁を指揮監督しているものでもなく、また田所が小川調教師の利益代表者とみることも困難である。しかし騎手は調教師と馬丁の間にあつて調教師の都合によつては騎手と馬丁だけで競馬に出かけることもあるという事情を考えると、このような立場にある者にして組合活動そのものを理解せず組合活動を嫌悪し、かつその言動が馬丁に向けられたような場合馬丁の組合活動を抑制しうる効果があることは見易いところである。したがつて馬丁の組合活動についての騎手の言動は慎重を期すべきものであると考えられるし騎手が原告組合員との関係において調教師と通謀して行動したような場合は論外として騎手みずから使用者の立場にあると考え、あるいは使用者側の意をむかえるべく行動しかつ調教師においてこれを黙認利用しているような場合には原告組合に対する支配介入行為として調教師にその責任を問われてもやむを得ない場合もあることは否定するわけにゆかないのである。

ところで本件における田所の、向井および片野に対する言動には甚だ妥当を欠くものがあり組合員に対し、かなりの影響を与えることは無視しえないのであるが本件再審査においては、とくに初審判断を左右しうるほどの直接の資料を提出しなかつたので田所の言動が申立人組合に対する小川調教師の支配介入行為に該当するとまで認定しえないとした初審判断は相当である。』と判断していることが認められる。

そして田所騎手が向井に対し昭和三四年一一月三〇日午後八時頃「労働組合に入つている間は二頭持ちはやらされない。ガイダーネルの馬主もお前には馬は持たされないといつている。だからお前は明日からはヒエイザン一頭持ちでやれ。」と述べ、片野に対し昭和三四年一二月下旬夜「組合をやめるのであれば新しく入つた馬を持たすが組合をやめないのであれば持たさない。」と、更に同月二七日「組合に入つておるなら夫婦二人ともひぼしになつても馬は持たさない。もし持たしたとしても競馬には使えない馬しか持たさない。いつまでも組合に入つておるのであれば江戸の仇は長崎で討つということを覚えておけ。」という趣旨のことを述べたことは当事者間に争いない。

そうすると右田所の言動は原告組合に対する支配介入に当ること明らかであるが、それが小川調教師の言動とし、小川調教師に不当労働行為の責を負わせるべきものであるか否かについて判断するに

成立に争いのない甲第一号証の一ないし三、甲第五号証によれば京都競馬場所属の調教師に雇傭されている馬丁の就業規則第四条では「馬丁はこの規則を守り職務上の責任を重んじて業務に精励し同僚互に相扶け合い礼儀を尊び調教師又はその代人の正当な指揮、命令に従わなくてはならない。」と規定してある他「取扱馬の発病等の異状を認めた場合は速やかに調教師又はその代人に報告し、その指示に従う。」「取扱馬の運動時間について故障馬については其の都度調教師又はその代人の指示に従う。」「馬丁が厩舎若しくは居宅をはなれて外出する場合はその予定時間、行先きを調教師又はその代人に予め届け出てその承認を得なければならない。」「年次有給休暇を受けようとするものは事前に調教師又はその代人に希望の日を申出ること」「馬丁が特別休暇を受けようとするときは休暇の予定日数とその理由を事前に調教師又はその代人に願出なければならない。」と規定され調教師の代人制度が設けられていること。そしてその代人とはいわゆる副調教師的なものであるが本件当時副調教師は制度として競馬会が認めて免許を出している段階ではなく代行者は大体騎手がやつていることが認められる。

そして前掲甲第四号証、乙第一六、第一九、第七四、第八三、第八四号証成立に争いのない乙第一三、第七六号証、証人森幾一郎、同向井孝行同片野良光の各証言によれば騎手は調教師になる道が開かれており調教師は殆んどが騎手からなつているが馬丁は一生馬丁の途を通らなければならないこと、厩舎に所属している古い騎手は調教師の留守の間はその指揮監督の権限をもつて飼葉の指示とか馬主との折衝もやること、小川厩舎においては田所秀雄は小川調教師とは叔父、甥の関係にあり一六才頃のときから小川厩舎に弟子入りし十九才で騎手になり昭和四〇年三月一日調教師の資格を得るまで小川厩舎で騎手として働いていたこと。小川厩舎に所属していた中川利成、向井孝行、片野良光が小川調教師に馬丁として雇傭されるに際し小川調教師より田所秀雄騎手を「秀雄はうちの厩舎で自分のかわりにやつてもらう者だからなんでも秀雄に聞いてやれ。」といわれて紹介されたこと、小川調教師は北海道の馬産地の出身で日頃から北海道等へ馬をさがしに行き又当時色々の方面の役職もかねていたため厩舎を留守にすることが多くその間田所騎手が小川調教師に代り飼料のやり方等を指示し例えば馬がレースに出場する前に飼料を減らす場合とか、その場合いつから減らすかという指図又は馬の蹄鉄をうちかえたり、馬に栄養剤とか疲労回復の注射をする場合、或は厩舎のまわりの除草、水まきとか鞍の手入れ等の指示をなしていたこと、仕事のことで馬丁が指示を受けるのは小川調教師と田所騎手と半々位であること、小川調教師は朝の調教の時、馬見所に出ていることは殆んどなく田所騎手がこれに当つていたこと、又馬丁が勤務時間中私用又は組合の用務で職場を離れる場合小川調教師が不在のときは田所騎手の許可を得ていたこと、向井孝行が前記ストライキの翌日である昭和三四年一一月三〇日持馬ガイダーネルの食欲がないことについて田所騎手に相談を求めたところ、同人より明日からヒエイザン一頭でやれと言渡され翌日小川調教師に呼ばれてその旨通告を受けたことが認められる。

そうすると田所秀雄騎手は小川厩舎においては前記就業規則にいう調教師の代人に相当し、かつ小川厩舎所属の馬丁もそう信ずるにつき相当な理由があるものというべく更に小川調教師自身かつて京都府地方労働委員会より不当労働行為にもとずく救済命令を受けていることよりみれば小川調教師が片野及び向井よりその持馬を取上げた行為が前記認定のとおりであるとしても右田所の向井、片野に対する右言動は原告組合の運営に相当の影響を及ぼすこと明らかで、その様な状態にあるとき小川調教師としては右田所の言動を知つた場合積極的に右言動を取消し又はこれを排除し右言動は自己の意思でないこと等、自己の中立的態度を公に表明し所属馬丁である組合員に周知せしむべきであるのに片野より田所の前記言動を告げられ自分は組合をやめることはできない旨述べられたのに対し唯単に「そういうことは知らない。」と答えた丈で積極的に右言動を排除する等の何等の措置もとつていない本件においては右田所騎手は小川厩舎における利益代表者として同人の反組合的言動は労働組合法第七条の使用者の言動としてその責任は小川調教師に帰するものというべく小川調教師と田所騎手との間に右不当労働行為についての通謀又は小川調教師に田所騎手の反組合的言動についてあらかじめ授権等の事実がなくとも小川調教師自身の不当労働行為としてその責任を負わなければならない。

証人田所秀雄、同小川佐助の各証言によれば騎手は所属厩舎の馬ばかりでなく他の厩舎の馬にも乗ることがあり、いずれの場合でも入賞すると進上金として五%が同騎手の収入となること、田所騎手も同様であること、田所騎手としては所属厩舎の馬丁であろうとも、他厩舎の馬丁であろうとも騎手として入賞するために色々と同馬丁に指示を与えることも認められるが、だからといつて前記認定のとおり田所騎手が小川調教師の代人として行動しているものであることを否定することはできず、田所騎手は騎手の立場から馬丁に指示を与える場合もあるし、小川調教師の代人としての立場から馬丁に指示を与える場合もあるというべきである。

そうすると原告が被告委員会に対て別紙(三)の誓約書のうち「騎手田所秀雄が組合員片野良光、同向井孝行両名に対し昭和三四年一一月三〇日、同年一二月下旬ならびに同月二七日それぞれ行つた諸言動は甚しく常軌に逸するものであり結局において労働組合法第七条第三号に該当する不当労働行為であることを認めると共に原告組合の団結と活動を阻害したことを深くお詫びし今後かかる行為を繰返さないよう充分注意することを誓約します。」という趣旨の調教師小川佐助より原告組合に宛てた文書の提出等を求める救済の再審査申立てを棄却した部分は判断の誤りがあり取消を免れないものというべきである。

五、結論

以上のとおりであるから原告の本訴請求中「京都府地方労働委員会が京労委昭和三四年(不)第二二号小川調教師不当労働行為救済申立事件につき昭和三五年一一月一八日付でなした不当労働行為救済申立棄却処分(救済を認めた部分及び原告が再審査申立をしなかつた部分を除く)はこれを取消す」との請求は訴の利益がないのでこれを却下すべく、被告が昭和三五年(不再)第一八号不当労働行為再審査申立事件について昭和三六年一二月六日付でなした再審査申立棄却処分中原告の小川佐助が原告組合員向井孝行よりその持馬ガイダーネルを取上げた行為は不当労働行為と認めて陳謝し今後これを行わない旨の誓約書の掲示を求めた部分及び小川佐助は騎手田所秀雄が原告組合員片野良光、同向井孝行両名に対し昭和三四年一一月三〇日同年一二月下旬ならびに同月二七日それぞれ行つた諸言動は甚しく常軌を逸するものであり結局において労働組合法第七条、第三号に該当する不当労働行為であることを認めると共に原告組合の団結と活動を阻害したことを深くお詫びし今後かかる行為を繰返さないよう充分注意することを誓約しますという趣旨の小川佐助より原告組合に宛てた誓約書の提出等の救済処分を求めた部分をそれぞれ棄却した処分はその前提事実の判断に誤りがあり違法であるから(従つて、被告は原告主張の右前提事実を肯認した上で原告に対し救済処分をなすべきである)これを取消すべきであるので右の限度において認容し、その余の請求は判断に誤りなく違法といえないので失当として棄却すべきである。

よつて訴訟費用の負担については行政事件訴訟法第七条、民事訴訟法第八九条、第九二条本文、第九四条後段、第九二条但書第九五条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 浅賀栄 西村四郎 森真樹)

(別紙(一))

誓約書

私は日本中央競馬関西馬丁労働組合結成当時不当労働行為を行い地労委の御指摘をうけていたのにもかかわらず昭和三四年の年末闘争のときに同組合の組合員向井孝行、片野良光の両名に対し、組合の指示に従つて組合活動に参加した故をもつて

一、両名の持馬を取り上げ非組合員にもたしたこと。

一、田所秀雄を通じ「組合に入つていたら良い馬をもたさない。」と云わしたこと。

一、馬主の意見なりとして両名の解雇を行つたこと。

は組合に対する支配介入であり不当労働行為であることを深くお詫びし、今後組合活動には干渉しないこと、並びに組合員であることの理由をもつて、いやがらせや差別扱いは絶対しないことをお誓いします。従つて今後は馬丁の皆さんが何ものにも干渉されたり妨害されたりすることなく自主的な組合活動を自由に行われることを調教師小川佐助は保証致します。

昭和三五年  月  日

調教師 小川佐助

馬丁の皆さんへ

(別紙(二))

昭和三四年一二月一日、組合員向井孝行より、その持馬であるガイダーネルを取上げた行為は、貴組合の団結権を侵害し、

労働組合法第七条、第三号に該当する不当労働行為であることを認め、今後かかる行為を繰返えさないことを誓約する。

右京都府地方労働委員会の命令により表明する。

昭和  年  月  日

調教師 小川佐助

日本中央競馬関西馬丁労働組合殿

(別紙(三))

誓約書

昭和三四年八月末組合員片野良光よりその持馬であるオオミドリを取上げた行為ならびに同年一二月一日組合員向井孝行よりその持馬であるガイダーネルを取上げた行為は貴組合の団結と活動を阻害したことを深くお詫びし今後かかる行為を繰返さないことを誓約致します。

また、騎手田所秀雄が組合員片野良光、向井孝行両名に対し昭和三四年一一月三〇日、同年一二月下旬ならびに同月二七日それぞれ行つた諸言動は甚しく常軌を逸するものであり結局において労働組合法第七条第三号に該当する不当労働行為であることを認めると共に貴組合の団結と活動を阻害したことを深くお詫びし今後かかる行為を繰返さないよう充分注意することを誓約致します。

昭和  年  月  日

調教師 小川佐助

日本中央競馬関西馬丁労働組合殿

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